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こないだのプレゼン「手段の目的化だ」って言われちゃったよ。
こんにちは、マツオカです。
「手段の目的化は良くない」とよく言われますよね。
利益を増やすためにコスト削減の施策を考えていたら
いつの間にかコスト削減が目的になってしまい、売上の下がってしまう施策になるとか。
例を上げればたくさんあるわけで、つまり日常にはこの「手段の目的化」がたくさん潜んでいるんですよね。
これらを指摘するのは簡単ですが、何がいけないのかを具体的に指摘するのはそんなに簡単ではないかも知れません。
今回はそんな「手段の目的化」についてまとめていこうと思います。
切り取る場所では「手段」は「目的」に
手段とか目的とか言葉遊びみたいになっていますが、
そもそもなにかといえば、自分の達成したい目標があって、それに到達するための方法が手段ですね。
ということなのですよ。
あえて少し回りくどい言い方をしていますが
「C」という大きな目的に対して「A」と「B」という手段があり「BができればCが達成できる」という状況を仮定すると
大局で見るか、実務レベルの範囲で見るかによって手段と目的は変わるんです。
大局で見ると、最終的な目標は「C」になりますが、「BができればCが達成できる」という仮定のもとでは「Bを達成すること」が目的になり得るということです。
基本給を上げたいという目的に対して
「〇〇資格合格で基本給UP」という条件が与えられた時
その目的はより具体度の高い「資格合格」にシフトする。
この例で言っても間接的ではあっても「基本給UP」は達成できるので、
本来では「手段」であるはずの「資格合格」が目的化していても問題ないと言うことが出来るかと思います。
大局の目的達成が確約されなくなる場合
ではなぜ「手段の目的化は良くない」と言われるかというと
これに尽きます。
例えば同じ”資格”の話で言っても
ビジネス英語習得のためにTOEICで高得点を目指していたが
高得点のためのテクニックばかり習得してしまい
肝心の”ビジネス英語”がいつまでも習得できない。
こんなのがよくある例かと思います。
この例では「TOEICの高得点」が必ずしも「ビジネス英語の習得」を意味しているわけではないのでこうなります。
なので「手段の目的化」は全てが悪いわけではないけど”大局の目的達成が確約されなくなる場合”は注意が必要ということですね。
実際に動作に取り掛かる時は、より小さな範囲にフォーカスした方がやりやすいと思うので
ようは使い分けなんですよね。
「目的の手段化」は歓迎されること
ここでもう少し踏み込んだ話をすると
「目的の手段化」は歓迎されるべきことなんですよね。
これは何かというと、先ほどとは逆の手順で
ということを意味するものなんですよね。
例えば高校生の時に勉強していた目的は「志望校に合格するため」だったが
就活では大学で学んだ専門性を武器に選考に挑むみたいな。
就職後は自分の武器を活かして社会に対してより高いバリューを生み出したい、みたいな。
つまり自分のいるフィールドが上がると
それまで「目的であったこと」が手段に変わるということ。
言い換えるなら、目的の手段化は「自分がステップアップした証明」でもあるので、むしろ歓迎されるべきことだといういことができるかなと思います。
「手段」と「目的」は常に位置を変え続ける
ということで今回は言葉遊びが過ぎた感じになってしまいました。
「それは手段が目的化している!」とか指摘するのは簡単ですが、その本質を見極めることは他人には難しいということです。
なぜならそれは相手の立っているレベルによって「何が目的となるのか」は変わるからですね。
だめな「目的化」を避ける
言うまでのありませんが大局の目的を達成し得ない手段は目的化してはいけません。
YouTubeがエンタメ系、ビジネス系ともに流行っていますが

よし!毎日投稿だ!
といって2日かければ質の良い動画を出せるところを、毎日投稿に固執して
満足のいかない動画を投稿しているのでは元も子もないということです。
あくまで動画を毎日投稿するのは「チャンネルを伸ばすため」であって
大局の目標をしっかり確認した上で、その達成に資するものであればぐっとフォーカスして取り組むというのが良いでしょう。
このブログでは働き方や稼ぎ方に関する考察や、生活をちょっと豊かにする考え方、
あるいは僕は現在40人くらいのライターさんを雇ってメディア運営をしており
その経験なんかもシェアしているのでよかったら他の記事も読んでみて下さい。
ということで今回は以上になります。
最後まで読んでいただきありがとうございます!