<進化論という”宗教”>学校教育はだいたい宗教だった話

合理的な生き方

こんにちは、ショーンです。

 

最近、僕は「謙虚であること」を意識して生活しているのですが、たまに

 

ぼく
ぼく

「謙虚であること」が美徳とされているのってなんでだろう。

言われたことに”素直に”ほいほいと従っていくことが果たして正しいのだろうか。

 

と思うことがあります。

とはいえやはり、物事を批判的にとらえることはあまり良いことではないとされてますよね。

 

・斜に構えている
・偏屈だ
・ひねくれている

 

とか、これらはすべて悪い表現とされています。

 

学校教育でも企業でもそうかもしれませんが、指示に対して疑問を持たずに従うことが美徳といったような歪んだ集団行動を長い間叩き込まれてきたがゆえにこのような雰囲気が漂っているのでしょう。

 

今回の記事では「<進化論という”宗教”>学校教育はだいたい宗教だった話」というテーマで書いていきます。

 

結論は「批判的に物事を捉えることで本質が見えてくる、あとは謙虚っぽく振る舞う」です。

 

では、詳しく見ていきましょう。

 

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進化論という”宗教”

実は僕は現在、絶賛就活中でして、面接官の方にも謙虚っぽくしてることにより

ほめてもらえたり、 いろんな方から「成長したな」みたいなことを言われてちょっとうれしかったりもするんですが、

 

中学高校を振り返ってみて、そのころから”謙虚”でいた方がよかったかと聞かれれば、

 

答えはNOです。

 

昔からずっとひねくれていると言われ続けてきましたが、それが正しいか間違っているかは置いといて、僕はひねくれていることを悪いことと思ったことは一度もありませんでした。

 

なぜなら、学校教育って”それっぽく聞こえるように”めちゃ適当なことを教えてるんです。

 

その最たる例が、「進化論」です。

 

日本の学校教育を受けた方ならもれなく「人間は長い時間をかけてサルから進化したのである」と教わりますよね。

ここで質問なんですが、「人間は長い時間をかけてサルから進化したのである」に対しての科学的根拠みたいなものを説明できますか?

 

たぶんですがちゃんと論理的に説明できる人いないですよね。

 

それこそ学校教育という長い時間をかけて、根拠もろくに説明できないようなことを教え込まれているんですよ。

 

アメリカでは創造論

 

例えばアメリカはキリスト教の考えが強く根付いている国家なので

基本的に多くのアメリカ人は「人間は神が造ったものである」という考えを持っています。いわゆる「創造論」です。

 

アメリカは言わずと知れた世界一の経済大国ですし、軍事力・外交力でも世界トップクラスの国です。

もちろん、だから「創造論」が正しいというわけでは無いですが、

 

なぜそんな国(アメリカ)と真逆の考えを日本で、ろくに根拠もないくせにそれっぽく教えることができるのかが、不思議です。

 

まだ、理科の授業とかで

 

人間のルーツには「進化論」と「創造論」の二つの説があって~

 

と説明するならまだしも、一つの選択肢しか与えずにそれを刷り込んでいくって、

言い方は悪いですが、構図的には完全に怪しいカルト宗教と同じじゃないですかね。

 

いびつな集団行動しか教えてくれない

「進化論」「創造論」云々に違和感があるというよりも、

言われたことに対して何の疑問も持たずに従うことが美徳とされている雰囲気は危険だと思います。

 

ただ、学校教育にとって模範解答というか、一定の規範のようなものが必要であるということも理解はできます。

 

道徳の時間に「答えはないから思ったことを言ってごらん」と言っておきながら成績をつけたり、
「この時の作者の気持ち」を答えさせたり。

そこに矛盾を孕もつつも、集団をまとめるには一定の規範・規律によってまとめることは必要なんでしょう。

 

ルールだから。

 

もちろん学校のルールがすべて間違っているとは思いません。

 

・廊下を走ってはいけない
・階段は左側通行
・下校中の寄り道は原則禁止

 

これらはすべて「危険だから」ですよね。

 

でも理解不能なルールも結構ありますよね。

シャーペン禁止とか、靴下の色は白しかダメだし、スネまで隠せとか

実益も実害もない、それも双方にとって。なんなんですかね。

 

今思い出しても面白いのは、僕の母校の話ですが、「ベランダに出ていけない」というルール。

何度か怒られましたが、なぜダメか聞いても「ルールだから。」の一点張りでした。

 

中学生ながら、この人に行ってもムダなんだ。と思った記憶があります。

 

本当に大切なことは教わらない

 

本題からずれてしまいましたが、学校ではこんないびつな集団行動は教わっても本当に大切なことについては教えてはもらえません。

 

例えばお金について、資本主義社会で生きていくうえではずっと必要になるお金ですが、そのお金について学校ではこれといって何も教えてはもらえません。

 

・社会でお金がどのように回っているのか
・お金を借りるとどうなるのか
・年金や保険の仕組みはどうなっているのか

 

経団連会長の「終身雇用の終焉宣言」や「年金制度の崩壊宣言」が話題になりましたが、発表されるすっと前から言われていたことですし、

かんぽ生命の問題にしても、ある程度の金融リテラシーがあれば多少は被害は押さえられたのではないでしょうか。

 

クリティカル(批判的)に捉えて脱搾取

今回は学校に着目して書いてみましたが、こういう構造って学校に限らず社会全体でも同じではないでしょうか。

 

本題ではないので詳しくは言及を避けますが、例えばかんぽ生命の問題なんかは典型的な搾取でしたよね。

今N国で話題のNHKなんかも搾取でしょう。

 

言われたことに”素直に”従っていくことが美徳では、搾取される危険性とずっと付き合っていかなければなりません。

 

世間から常識とされていることに対して

 

・本当にこれは正しいのか
・その根拠はあるのか
・誰にとってメリットがあるのか

 

というように一度、批判的に捉えられる能力が必要でしょう。

とはいえ、やはりそれでは「ひねくれている」とか「斜に構えている」といわれ、実害を伴うこともあるかもしれません。(就活だと確実に不利になります。。)

 

このような批判的な捉え方(クリティカルシンキング)は内側にひそめておいて、

あくまで謙虚、謙遜に振る舞うのがベストでしょう。

 

 

最後に、日本を代表する起業家のホリエモン氏の言葉を紹介して今回はおしまいにします。

 

そもそも常識なんて言うのはとてもあいまいで、バカバカしいものだ。

いちいち辞書なんか引くことはない。

コミュニティのみんなが何となく持っている共通認識くらいに考えておけばいい。

一方で、クローズドになっている重要な情報は非常に多い。

金持ちと貧乏人、権力を持つものと持たざる者の間には得られる情報に大きな格差がある。

常識を疑う勇気を持とう。

ウソをウソと見破る力を養おう。

ファクトに行き着くためには、自分自身の頭を使って「なぜ」「どうして」と思考を続けるよりほかないのだ。

堀江貴文 『疑う力』

 

クリティカルシンキングについて学ぼうと思ったら、体系的に解説されている本を買うのもいいですが、ホリエモン氏のようにフランクに読める本の方が僕は好きですね。

 

まあMBAの方が圧倒的に詳しく解説されてますけどね。

 

では、今回は以上です。

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